浄蓮寺本堂のご本尊は、永遠の命を持った本仏の心と、自然と、私たちの関わった世界を日蓮聖人が文字で書き示した大曼荼羅ご本尊を、仏像によりお祀りしています。
中央上段に「南無妙法蓮華経」の宝塔を配し、両脇に合掌姿の釈迦(左)・多宝(右)両如来を安置した「一塔両尊」形式。
その脇を四菩薩が固め、前段には日蓮聖人像を中心に諸神、諸菩薩がお祀りしてあります。
 ご本尊は、自分と、仏さまとの対話をする大切な鏡です。
本堂の御宝前で合掌しお題目を唱えれば、身も心も清まり、正しい心や生き方が見つかり、心の苦しみもきっと消えるはずです。

眼病消滅の本尊として信仰された『日朝さま』


日朝さまが、身延山から当山に奉遷されたのは、文献による記録は今のところ不明ですが、元文元年(1736)から宝暦11年(1761)の間と推察されます。
一般に「目の神さま」として知られているのは、日朝さまの霊験によるところです。
 日朝さまは、応永29年(1422)伊豆の宇佐美に生まれ、幼い頃から神童と呼ばれていました。
その非凡さゆえ、日蓮聖人の再来ともいわれ、41歳の若さで身延山の11代法主となられます。
法灯を継承してから38年の間、日朝さまは身延山本院や諸堂の移転事業や、行事の制定、著述筆耕の明け暮れで、止暇断眠の毎日。
その為、61歳のとき両眼を失明してしまいます。
しかし日朝さまは、法華経流布のため、眼病平癒の大願をたて、四十九日間の祈願を行い、視力を回復させ眼病を克服しました。
その後日朝さまは、法華信者が眼病で苦しまないよう「眼病消滅本尊」を書き、多くの弟子・信徒の尊崇を深めていきました。
その日朝さまが、明応9年(1500)に遷化すると、ますます神格化された「日朝信仰」が全国に伝播していき、各地のお寺に祀られました。
当山もその勧請寺のひとつとなった為、日朝さまに祈願する多くの絵馬(下写真)が残っています。

お釈迦様に帰依した『鬼子母神』と『十羅刹女』


 「鬼子母神」と「十羅刹女」は、もとは三千世界の人々の寿命を奪う悪鬼でしたが、お釈迦さまの説法によって改心し、人々の守護神となりました。
日蓮聖人は「鬼子母神」が10人の大鬼神である「十羅刹女」の母親だとおっしゃっています。
その為、当山でも「鬼子母神」を中心に「十羅刹女」もお祀りしています。
 鬼子母神は500人もの子を持つ母親であったことから、安産・子育て・子安の鬼子母神が、広く知られていますが、日蓮宗では独自のものがあります。
それは憤怒の姿をした「鬼形鬼子母神」と呼ばれ、ご祈祷を行うための本尊とされています。
 浄蓮寺では、鬼形(上写真の中央)・子安(上写真の右)両方の鬼子母神をお祀りしてあり、「日朝さま」と共に、多くの信者さんの祈願の対象となっていたのです。

信徒の身体を守護する『浄行さま』

浄行菩薩は、妙法蓮華経の十五章「従地涌出品」から登場する上位の菩薩様です。
お釈迦さまが大勢の弟子信徒に説法しているとき、大地が震烈し無量千萬億の菩薩が地中から現れました。
お釈迦さまの要請で出現したもので、このおびただしい菩薩さまこそ、未来社会つまり私たち現代の世界で法華経を弘める役割りをになっている方々でした。
 数えることができないほどの多くの菩薩の中でも代表となる方々が上行菩薩・無辺行菩薩・浄行菩薩・安立行菩薩の四菩薩です。
日蓮聖人は四菩薩の上位である上行菩薩再来としての自覚をもたれ、法華経を説かれました。
 当山に奉祀する浄行菩薩は、古来法華信徒の身体を守護する菩薩として知られ、病気患部と同じ箇所を水タワシで擦り、病の平癒を祈願する習わしとなっております。
この尊像は、平成十一年度新盆にあたられる檀信徒の皆さまの寄贈により建立されたものです。 

法華守護の『春日さま』と『三十番神』


正保二年(1646)に当山にご奉安された、「春日大明神」(上写真)。
奈良の春日大社に勧請される神を総称して「春日神」と呼びますが、日蓮宗では、法華経を守護する神として信仰されています。
 一ヵ月30日間毎日交代で、法華経を奉ずる人々を守護する三十番神(下写真)の一神としても知られており、
当山檀信徒の皆さまをを守護してきた神さまとして、多くの方々の信仰を集めております。